「北野、どうした?ぼぉっとして」
鉛筆を持ったまま窓の外を眺めていた俺の横に、いつのまにか狩谷がいた。慌ててクラスを見渡すと、どうやらほとんどが作文を書き終えているらしい。残っているのは俺と……早崎くらいみたいだ。
「あ、いや、なんでもないです。なんだか書く内容がまとまらなくて」
「そうか……。お前にしては珍しいな。まぁ今日中に提出という訳でもないから、慌てなくてもいいぞ。」
「すいません」
国語教師の狩谷は、『実践的授業』とかいうのを持論としていて、週に4回の国語の授業の内1回は作文をさせる。彼が言うには、書くことで自分の心を伝えること、読むことで作者の心を読み取る力をつけることができるそうだ。最も、この効果のほどは怪しいのだけれど。
いきなり『友情』とか『家族』なんてお題を与えられたところで、俺達普通の中学三年生は自分の心なんて書かない。当たり障りの無い一般論、誰もが思うであろうことを『僕』として『私』として書くのだ。きっと、狩谷にはそういう俺達の心――作者の心――を読み取る力すら無いんじゃないかと思う。
かくいう俺も、普通の中学三年生の一人だったりする。普通で、周りから好意的に受け止められるであろうことを『僕は〜思います』って書いているだけ。これが役立つのは……高校受験の作文くらいじゃないかな――しかも、作文があるとき限定で。
そう、これはただの授業で、本音なんて書く必要性は無いんだ。必要なのは、ちょっとくらい字が汚くても正しい文法の日本語であり、みんなが『正しい』と思うこと。そんなの、解りきっている。
解りきっているのにどうしてだろう。今日はいつものように機械的に手が動かない。事務的にマスを埋められない。まるで今まで繋がっていた脳と手を結ぶ銅線が切られたみたいだ。
結局、一文字も書けずに50分は過ぎた。終了のチャイムが、やけに大きく感じる。
「北野くん、今日暇?」
どうやら今日はよく名前を呼ばれる日らしい。下駄箱で上履きを脱いでいるときに俺を呼んできたのは、早崎だった。
「あれ早崎、今日バレエとか言ってなかったっけ?」
「それがさぁ、先生が風引いちゃって。期末前だから今週いけないと、まるまる二週間練習なし。金返せって感じ、本っ当。早崎家が破産しちゃうって。……、で?」
「で?」
「だーかーらー、今日暇なのかって」
「ああ、そゆこと。別に暇だけど」
嘘。今日だって5時からピアノのレッスンじゃないか。
「本当?じゃあたまにはゲーセンでも寄ろうよ。ねっ!」
たまにはって……。俺、早崎とゲーセン行くのなんて初めてなんですけど。というより、クラスでも早崎達の女子のグループと喋ったことなんて殆ど無いし。でも、女の子に放課後誘われて-―あんまり仲良くなくても――断れるほど、俺はまだ大人じゃないんだ。
「今月はまだ余裕あるし、いいよ」
エアホッケーして、ポップンして、イニDして。
ここでは時間と比例してお金が減る。
8時をちょっとすぎた頃、最後といって早崎がUFOキャッチャーをはじめた。慣れた手つきで、2回目で目当てのモノが落ちてきたようだ。
「やった!これ、結構狙ってたんだあ〜」
黄色の熊のぬいぐるみを取った早崎は嬉しそうな振りをしているけれど、目がぜんぜん笑っていない。
この、孤独感はなんなのだろう。二人でいるのに広がる、完璧な孤独の感情。一番近くにいるけれど、早崎が何を考えているかなんてわからない。
人は独りなんだってことくらい最初から知っている。なのになんで、今、痛いくらい『孤独』を感じているんだろう。
「はやさき」
そのとき俺はどんな声をしていたんだろう。早崎の顔が強張っていたから、きっと嫌な感じで冷たかったんだと思う。でも早崎のそういう顔を見るともう俺の口は止まらなかった。
「早崎。お前、A組の遠藤と付き合ってるんだろ。学校帰りの寄り道ならあいつといけばいいじゃん。なんで俺なわけ?なんなの一体俺は。ねぇ!」
そこまで一気にまくし立てると、早崎はしぼんでしぼんで、本当に縮んだんじゃないかってくらい小さくなっていた。
「ゴメ、ン」
微かに震えているその声を聞いて、一気に熱が冷めた。ゲーセンにたまっていた熱気も、あのけたたましい音楽も、急に冷たくなっていた。
「……別に……。つか、こっちも、言い過ぎたし。ゴメン」
外は予想以上に暗くて、予想以上に涼しい。
早崎はさっきの一言を最後に何も喋らず、いるのかいないのかわからないみたいだ。
俺たちは黙って歩く。早崎の家がどこだかなんて知らないけれど、なんとなく送らなきゃいけない気がした。
「ねぇ、早崎の家って、どこら辺?」
返事は無い。
「じゃあ、学校まで行くからな。」
歩道に落ちた落ち葉が、赤、朱、黄とグラデーションを織り成している。サクッと、踏んだときの感触が楽しい。
サクッ、サクッ。
早崎も同じ感想らしく、落ち葉が重なっているところを選んで歩いている。
「ねえ」
急に早崎が声を出しちょっとびっくりする。
「え?」
「今日の作文、どこまで書いた?ほら、書き終わってないの私と北野君だけっぽかったじゃん。」
「あぁアレね。俺実は、白紙なんだけど。ははは。そういうそっちは?」
「あはは、こっちも。全くの手付かず。白紙、白紙」
「へー、なんか意外。去年の文集かなんかに、プリマドンナになりたいとか書いてなかったっけ」
「北野君アレ読んだのぉ?うわっ」
「何今のうわっ、て」
「別にぃ……。うーん……、将来の夢ねぇ。夢はやっぱりプリマドンナなんだけどさ、やっぱりそれは難しいから、学校の先生とかでもいいかなって思っちゃってさ。大会とか出ると現実見えてくるし。バレエ選手はちょっと無理かなって。北野くんは、どうして白紙なの?」
「俺?俺さぁ……っていうか夢とかない」
「何それ」
「俺、本当に小さい頃からピアノやっててさ。高校進学はしないでドイツに留学する予定なんだ。」
いきなりの大告白に、早崎は本気で驚いていた。半開きの口がなんとも間抜けだ。
「は?それマジで?つかピアニストって。毎年合唱コンで弾いてたから上手いのは知っていたけどさぁ」
「このままいけば、99%ピアニストになると思う。親父もお袋も俺がピアニストになること望んでいて、結構俺にかけてきててさ。それに自分でいうのもなんだけど、実現する才能だって無いわけじゃないし。……だけど、なんでだろうな、ピアニストになりたいとか思わないんだよ、全然。なんか、生まれたときからレールにのって、ここまできちゃったみたいな感じ。」
再びの沈黙もやっぱり長い。だけど今度の静寂は嫌な感じじゃなくて、心地よい。闇空に二人の足音だけがリズム良く響いているのがなんとなく幸せで――。2メートル以上離れて歩いていたけど、そんなに孤独じゃなかったのは、俺だけじゃないと思った。
夜の学校は怖いというより、厳かな雰囲気を醸し出していた。昼間はあんなに熱くて、輝いていて、活気に満ちているけれども今は正反対。暗い中にぽつんと光る校舎はどこか近寄りがたいものだ。
「北野君は、それでいいの?納得してるわけ?」
思った以上に声が響いて、早崎の声はさっきより大きく聞こえる。そして心の中で何回もリピートされる。
俺は、どうなんだろう。
きっと、納得なんかしてない。
きっとそれで良くなんかない。
何も考えないで納得してきたけれど、なんとなくここまできちゃったけれど、これからもなんとなく進むなんて、きっと絶対良くない。
「それそっくり、お前に返すよ」
俺の答えは早崎には教えない。だって俺は普通の中学三年生の一人なんだから。そんな熱いこと、できるはずがない。
何か早崎が言っているのが聞こえたけれど 、振り向かないで走り出す。
落ち葉を踏みしめながら、逃げるみたいに、走る。
ああ、レッスンさぼった言い訳考えなくちゃ。
自主練もしなくちゃだし。
それにあと……鞄の中の真っ白な原稿用紙も、うめなくちゃいけないし。
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